自分の英語の発音が、どの程度のもんだか・・・。
それは
幼児かペットに話かけてみればわかる。
バナナを食いながらホストマザーと対面した(前記事参照)私は、
かつてない危機にさらされていた。
「何語だかわからない・・・・・・。」
よく、
「は?オマエ何語しゃべってんの?(笑)」
などと冗談を言われることはあっても、
本当に相手が何語しゃべってるかわからない経験
をした人は、意外と少数ではないかと思う。
しかも英語で。
私のステイする家はマザー一人と犬が住んでいた。
が、マザーはマジで早口。
なにか一生懸命説明してくれているが、
・・・・・・・・わからない。
バスがなんとか言っていることしかわからない。
5分くらい説明すると、意思疎通不成立に若干彼女も疲れてきた様子。
気まずい雰囲気が流れる・・・・・・・・・・・。
こんなときこそペットの出番。
ペットは癒しと気まずさ解消のために存在する。
私はすかさず犬に話題を移す。
私「かわいい犬ですね」
マザー「いろいろ芸もできるのよ」(←たぶんこういっていた)
マザー「はい。Down!!(伏せ)はいいい子ね〜〜!!」
・・・・・・・・・・・やべえ・・・・カワイイ。まじ和む・・・・・・・。
そして私もトライする
私「はい、Down!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シカト?犬シカト?
私「DOWN!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
犬「ワン!!」
ワンじゃねえよ!!!DOWN!!
ディーオーダブリューエヌ!!!
犬「・・・・・・・?」
マザー「おかしいわね。はいDown!あらちゃんとやるわね」
あ・・・・・・・・・・・・、
発音!!!!!!???????
私の発音ちがいますかっっっっっ!?!?
私「ディャ〜〜〜〜ゥウウウン」
犬「(座る)」
伏せた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
ちなみに、友人Yの家には幼児がいたらしく、
Yが幼児に話しかけたところ
「ママ〜、あの人なにいってるかわかんないよう」
といわれたらしい。
自分の発音は、幼児か犬で確かめられる・・・
そんな新たな発見をした午後でした。
これは海外滞在中に私が好きになった言葉
。。。。の一つである。
彼らは非常によくこれをつかう。
ぜんぜん大丈夫じゃない状況でもつかう。
むしろ、
どう考えたってプロブレム満載にしか見えない状況でつかう。
結論から言うと、
私はいろいろちいさなことを気にしすぎだということに気が付いた。
誰も気にしないことを気にする女・・・・・。
それはそれで長所でもあるのかもしれない(と思うことにいしている)。
さて、オーストラリアの出入国カードに
「アメ」
と書いたため、しょっぱなから皆の無言の顰蹙を背中に感じつつ、
私は、それぞれのホームステイ宅まで送迎してくれる
学校のプログラマーの人たちに出会った。
外は非常に暑かった・・・。
冬の日本から一変、オーストラリアは常夏真っ盛りである。
それにもかかわらず、彼等はニコニコ笑っていた。
「WELCOME!!」
とものすごいテンションの高さで迎えてくれ、
東洋から来た見知らぬ学生たちの不安を一気に吹き飛ばした。
私たちはこれからのステイ先におくられるため、
バンに乗せられ、車は出発した。
町並みがすごく綺麗だった。
天気は快晴。茶色に統一されたかわいい家が立ち並ぶ。
私たちのテンションはMAX潮だった。
「わ〜、綺麗!!」
私はもう、超はしゃいでいた。
周りはすっかり打ち解けていたが、
私はたとえ心がエベレストよりハイであっても、
それが一切顔にでないという
非常に損な特質を兼ね備えている。
そのため、一人でニヒルな学生として浮いていた。
しかし・・・・・・なんか・・・・・・
景色がみづらいんですけど・・・・・・・
もうなんか、飛ぶようにすぎていくっていうか。。。。。。
皆はその時、気づいていなかっただろう。
そのバンが時速190キロで(一般道を)走っていたことを。
しかし私は見てしまった。そしてもう景色どころではなくなった。
運転手(女)はうれしそうな学生の姿に自分もハイになっていた。
さらにアクセルを踏み込む。
そして、奴が手にしたもの。。それは
バナナ。
食うのかよ!!今っっっ!?!?!?
だれかっっっ、この女を今すぐ取り締まってくれ!!
女はバナナを食べながら、
「生活については何も心配する必要ないわ。全てノープロブレム」
と言っていたが、
既に自分がプロブレムな要素になっていることをわかっていない。
そんなことを考えていたら
D君のステイ先についた。
プログラマーが一緒についていき、家族に挨拶をする感動の場面。
先陣をきったD君は、バンの皆に大きく手をふり、
バンの皆も、一番手の様子をガン見していた。
「ぴんぽーん」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。応答がない様子。
「ぴんぽーん」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
珍しい東洋人を乗せたバンがとまっていることにより、
子供やご近所さんが車付近に群がってくる。
そして一人が言った
「あ〜、そこの人、今教会にミサにいったから、しばらくかえてこないよ」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
期待に胸を膨らませていた
私たちバンの中のメンバーの心中を察していただきたい。
D君は結局、次におろされたI君のうちに一時お預かりとなり、
バンは二人をおいて次へと向かった。。。。。
一時間が過ぎたころ。
私はデンジャラスな運転手と二人、まだバンに乗っていた。
あろうことか、私は10人近い中で、一番最後におろされるのだった。
デンジャラスは私に話しかける(もちろん英語)。
「そっちは狭いでしょ?助手席にいらっしゃいよ」
イヤだ。
「さあ!!早く」
ノーといえない日本人。。。。。
私は助手席にうつった。
「おなかすいたでしょ!!バナナたべなさいよ(←命令形)
ねっっっ!?」
「ハイ。。。」
こうして私はバナナを食いながら、
ホストファミリーと対面するはめになったのだった。
オーストラリアに発つ前日。。。。。
私は非常事態に直面していた。
そう。。。。荷物重量制限があるらしかった。
荷物が重量オーバー。
海外旅行には、
航空会社や座席クラスによっても違うが、制限は20キロだった。
今考えれば、大半は置いていっていいもの、
むしろ、全くいらないものだったと思う。
しかも、そんなキッチリ20キロ
みたいにしなくても、1〜2キロくらい、どうってことなかったのだ。
しかし、私にとっては、初海外。
しかも、荷物はライフラインの確保に関わる物たちだった。(と信じていた)
うちの体重計はデジタル式。
重量が制限されてるったって、いったい今、荷物が何キロだかわからない。
私と母は、10キロの米の袋ふたつと、
スーツケースを交互に持ち上げて、
「いや!!ぜったいオーバーしてる」
「いや、ギリだから。いける、たぶん」
などと、とてつもなく無意味な行為を2時間半にわたって繰り広げていた。
20キロジャストにこだわるくせに、
計量方法が大雑把過ぎる。。。。。。
終いには決着がつかなくなり、
ばあちゃんちから、アナログ体重計を借りてくるしまつ。
そして、
「ほ〜らみろ!!21キロじゃん。無理!!これじゃ乗れないから!」
とか言って、たった一キロの減量に知恵をしぼり、
当日は20キロ、ほんとにジャストのスーツケースを持参し、空港へ向かった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
しかし、仲間の女子たちのスーツケースは、
明らかにすべて20キロ越えだった。
見るからに横綱級。
そして男子。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。?
明らかにライト級。
そして次の瞬間、係りの人が
全部いっぺんにスーツケースを量っている!!!!
係「いいんですよ。団体は。数人の人が軽ければ、重い人がいても大丈夫!」
ちょっとおおおおおおおおおおおお!!!
あたし昨日量ったんだけど!!!!
しかも米でっっっ!!!
みてよ、この芸術的20キロ!!
ジャストなんだから。
でも、そんな心の叫びもむなしく、
その他大勢のなかの一つとして
マイスーツケースはコンベアーで運ばれていった。。。。。
私たちは、ナチュラルハイだった。。。(と思う)
これからコアラの楽園へ向かうのだから当然。
離陸の時には
「お〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
という、歓声をあげている者も居た。
私は天邪鬼のため
「フン、離陸ぐらいで騒ぐな」
というふうを装っていたが、
実は一番騒ぎたかった。
私はといえば、友達もいなかったし。。。。。
映画をひたすら見ていた。
極度の心理的テンションのために寝付けず、
日本語をしゃべっているにも関わらず、
CAにはチャイニーズに間違えられ、
ひじで誤ってコールボタンを3回押し、
出入国カードの記入注意を聞かずに記入を間違え、
代わりの紙をもらったりしていた。
それにもかかわらず、審査の紙の「食品」の欄に、
正直に
「アメ」(しかも一粒)
と書いたため、
現地では、審査の列に延々の並ぶ羽目になり、
まだよく知らないグループの皆に迷惑かけるなんて、
その時はまだ考えていなかった。。。。。。。
さて、実は私、アイルランドに行く前に、オーストラリアに行ったことがあります。
そのときは、大学の語学留学プログラムで参加したんだけど
やばかった
ほんと楽しかった。
どのくらい楽しかったかっていうと、「人格が日本に居るときと違う」
といわれるくらい楽しかった。
そんな私は、オーストラリアに行くのがじつは初海外で、
最初はかなりビビッていた。
「やっぱ今時海外よね〜」
とか口では言っていたが、実際は
「臓器売られたらどうしよう」
「ハイジャックに会ったらどうしよう」
「身代金、英語で要求されても。。。うちの親。。。。英語しゃべれねえよ」
と本気で考えていた。
大学のプログラムということで、行く前の準備や、仲間内の顔合わせは入念だった。
みんなそれなりに「楽しみ」とか「緊張する」とか言っていたが
私は無言で仲間とは、現地につくまで一言もしゃべったことがなかった。
普段から、しらない人から「怖い」などといわれる+極度の人見知りなんですよ。
後から聞いた話では
「あの人度胸すわってるよね」
「つーか、話しかけていいんかね?」
など賛否両論意見が飛び交っていたらしいが、
単にビビッて口利けなかっただけだから。
後から思えば、あのメンバーで行けたことは本当によかったと思う。
でも当時は、そんな感じのまま現地へ向かったのであります。

